2. 銀化する鱗
30年目に入り、ウナギの体に微妙な変化が現れ始めた。体色が徐々に銀色に変わり、目が大きくなり始めた。これは自然界では「銀ウナギ」への変態の兆候とされる変化だった。
青山は細心の注意でこの変化を記録する。体色の変化率、眼径の増大、体表粘液の質的変化。すべてを数値化し、グラフ化していく。しかし彼の内心では、この変化が「別れ」の始まりであることを直感的に理解していた。
「あたし、変わってきてるの。感じる?」
ユメの「声」にも変化が現れていた。時に遠くから聞こえるように感じられ、時に通常より鮮明に響く。ウナギの体は日々銀色を増し、かつての灰色は薄れていった。鱗の下には厚い脂肪層が発達し、体はより流線型になっていた。
「君の体が…銀化している。回遊の準備だ」
「あたしの体は何かを覚えているの。あたしには記憶にないけど、体が覚えてるわ。海への道を」
ウナギは水槽内をより直線的に、より力強く泳ぐようになっていた。かつての蛇行する動きは減り、まるで長距離を泳ぐための効率的な動きへと変化していた。体表の粘液も質が変わり、より滑らかで、水の抵抗を減らすような性質になっていた。
「君は…旅立つつもりなのか?」
「あたしの体がそう言ってるわ。頭じゃなくて、体が求めてるの。何か大きなもの、広大なものを」
この対話の間も、ウナギは休みなく泳ぎ続ける。かつてのような底での休息は減り、常に動き続ける姿。その生理的変化が、青山には「決意」や「覚悟」に見えた。
研究者として、青山はこの変化を冷静に記録し続ける。銀化の進行度、行動パターンの変化、代謝の変化。すべてを客観的データとして蓄積していく。しかし人間として、彼はこの変化に戸惑い、不安を覚えていた。
「私の研究はまだ終わっていない。もっと時間が必要だ」
「あんたの研究?それともあたしたちの対話?どっちが大事なの?」
この問いかけに、青山は答えられない。ウナギの体は日に日に銀色を増し、目は大きく、黒く輝いていた。その姿は神秘的で美しく、かつての灰色のウナギとは別の生き物のようにさえ見えた。
「あたし、旅立つ準備を始めたわ」
ある朝、青山がいつものように水槽に近づくと、ユメはそう宣言した。困惑する青山に、ユメは続ける。
「あたしの体は自然の呼びかけに応えてる。それを止めることはできないし、止めるべきでもない」
青山は水槽の前に座り込み、銀色に輝くウナギを見つめる。研究者としての彼は、この現象を最後まで記録し、理解したいと願う。しかし人間としての彼は、30年の伴侶との別れを恐れていた。
「この変化を最後まで記録させてくれないか」
「あんたの研究対象ではなく、あたしは自分自身の物語の主人公なの。それをいい加減理解して」
この言葉に、青山は深く傷つく。ウナギは水槽内を力強く泳ぎ、時に壁に向かって突進するような動きを見せる。この行動が、青山には「脱出への願望」に見えた。
銀化の進行とともに、彼らの関係は新たな緊張状態に入っていく。自然の呼びかけと研究の継続、解放への願望と観察の欲求。相反する力が、30年の関係を引き裂こうとしていた。
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