不快と快の随伴性、さらに言えば等価性は言語と生理機構の両方に基づくだろうが、そのメカニズムを説明することに意味はない。

ラカンなどで理解した気になるより、感得する方がよほど重要。
一度感得すれば、全ての欲望がこれによって分析できるようになる。

まあ、多くの可哀想な男達にとっては、とりあえず分かりやすい快楽として感じ取れる範囲で、まずは多くの刺激を試して挿入や射精を相対化することが先決なんだろうね。
「不快の快」を感じ取る。
​​​​​​​ほんの前準備として、まずそこまでは来てもらわねば快感を語る土俵にも立てない。



新美術館にてブルガリ展。
美術館に行き、美しいものを見ていると思考がクリアになる。

私は、美術や芸術を通じて作品そのものを視ているのではなく、自分の心の内を視ているのだ。